胃潰瘍が判明するまでに4日もかかりました

私が今まで経験した中で一番大きな病気は胃潰瘍でした。
前日までは特に前兆などを感じることもなかったのですが、ある日の午前3時頃に突然の痛みで目が覚めました。同居している家族はいるのですが、夜中だったために誰にも気づいてもらうことも出来ず、とにかく苦しかったことを覚えています。なんとかベッドから這うようにしてキッチンまで移動し、口の中が気持ち悪かったのでうがいをしたところ、口の中から茶色い液体が出てきました。そのときは気が付かなかったのですが、吐血していたようです。
明け方に偶然トイレに起きた母に発見され、近所の救急病院に連れて行ってもらいました。しかし残念なことに研修医の先生しかおらず、腹部の触診と血液検査のみで便秘だろうという診断で家に帰されました。吐血をしたこと、検査時に脈拍が30を下回っていたことで、看護師さんからは別の病院の受診を勧められました。
日曜日だったためそれ以上どうすることも出来ず、一日我慢をして、月曜日に別の病院に行きました。そこでも問診のみで軽い胃腸炎と判断され、そのまま帰されることになったのです。それから三日間我慢をしましたが痛みは全くひかず、再度月曜日に行った病院に行き、胃カメラの検査をお願いしました。そこでやっと胃潰瘍だったことが判明し、適切な処置を受けることができました。
しかし検査前に会社に事情を話しても休むことを許可してもらえず、全身麻酔で検査をしている最中もずっと携帯電話が鳴り続けていました。結局目が覚めて結果が出たらすぐに出勤しろと言われ、逆らうことが出来ずに出勤したことを覚えています。
結局元の食生活に戻るまで3か月近くかかりましたが、なんとか再発もせずに生活することが出来るようになりました。

出血等が無い大怪我をすることもある・・・

私が今までにした一番大きな怪我は、二段ベッドの上から落ちて頭を打った時のことです。
小学生の時だったのですが、朝起きた時に寝ぼけていたのかいつもならぼーっとしていても普通に下りられていたはしごの場所を何故か寝ぼけていたため間違えてしまったらしく、頭からまっさかさまに落ちてしまいました。2階の子供部屋で寝ていたのですが父と母が音を聞いて慌てて駆けつけてきたのを覚えています。
幸いあからさまな出血などはなかったのですが頭に大きな内出血が出来、頭を打ってしまっているということで脳震盪も怖いしその時大丈夫でもそのあとどうなるかわからないということで、その日は一日入院することになってしまいました。
私自身はパニックにもなっていたしとにかく驚いたし痛かったしで泣いていた覚えしかないのですが、後でその時初めて普段仲の良かった両親が病院に連れて行く(母)・行かないでも大丈夫だから仕事に行く(父)と大喧嘩をしたと聞きました。
結局母の「頭を打っているんだから今後どうなるかわからない」という意見で父が車を出してくれて病院へ行き診てもらったところ、頭を打った場所が本当に大丈夫かギリギリのところで、あと1~2センチずれていたら開頭手術をしなければならないほどの状態だったと聞き父も真っ青になったと聞きました。私自身は幼かったこともあり退院した後頭にガーゼを当てられネットのようなものをかぶせられそれで学校に行くのが恥ずかしかったことの方が覚えているのですが(笑)
それ以来二段ベッドは解体されて一段ずつにされ、学校にもその話がしっかり伝わっていたため修学旅行の時の部屋が二段ベッドでしたが「あなたは下の段ね」と先生に決められてしまっていました(笑)
派手な出血や骨折などの怪我ではないですが、私にとっては人生を左右する大きな怪我(内出血でしたが)でした。

幼い日の痛い思い出…出産した今…

昨年第一子を出産し、今は専業主婦をしているものです。
妊娠中も特に問題なく、6時間の超安産で出産を終えました。
本当に無事出産できてよかった。と誰もが出産を終えたら実感することかと思いますが、私が今までにした一番大きな怪我の話しの後だとその思いもひとしおになると思います。

あれは今から20年前小学2年生の初夏です。
その当時私達の間では「鉄棒の上を綱渡りのように歩く」という遊びが流行っておりました。
これだけで私の怪我の内容がわかってしまいそうですが…

色んな高さの鉄棒が並ぶ公園でいつも遊んでいたのですが、もっぱら人気だったのはその当時の私の腰の高さほどの鉄棒でした。
いつものように学校が終わった夕方、男女合わせて5人ほどで公園で遊んでいました。
私はその日も鉄棒の上を歩いていたのですが、ふとした瞬間足を滑らせてしまい鉄棒を股の間に挟む格好で落ちてしまいました。
小学生の腰の高さだと大人からみたら知れているものなのですが、その当時の私は後一歩のところで足が地面に届かず…股をしたたか鉄の棒にぶつけてしまい足が宙に浮いている状態で止まりました。
あまりの衝撃に痛みは感じず、ただびっくりしただけ。とても冷静に「お母さんに報告しなきゃ。」と思いました。

幸いにも公園から近いところに家があったので友達に帰るねと伝えて帰り、母に報告。その日着ていたスカートは血まみれになっていました。
あまりの血の量に母も驚き、すぐに病院へ。それまで大きな怪我もしたことがなかった私は、テレビで見ていた手術の光景を思い出してひたすら病院に行くのを拒否しましたが母の「薬で治る。」という嘘八百に騙されて整形外科へ行きました。
局部麻酔で3針縫ったのですが、痛いというより怖さで泣き叫んでいたのを覚えています。処置中はずっと母が手を握ってくれていました。
それからの一週間はトイレに行くたびに消毒用ガーゼで清潔にし、もちろんプールも見学。授業中はイスに座布団を敷いてもいいという特別待遇でした。
一週間後の抜糸も痛かったのを覚えています。その当時は溶ける糸ではありませんでしたから…

奇跡的に中央ではなく少し膣口からそれた場所を切ったので笑い話となりましたが、場所が悪かったら…と思うと…
本当に問題なく自然分娩で産むことができてよかったと今、心から思います。

生きてて良かったと思ったあの日の事

1ヶ月ほど前からお腹が痛いような、熱っぽいようなだるさが続いていました。しかし当時飲食店でストアマネージャーをしていたのでなかなか休みも取れず、ちょっとした疲れだと思って栄養ドリンク等でごまかしていました。しかしなかなか体調は良くならず、ある日の朝方、強烈なみぞおちの痛みで目が覚めました。時間を経たずしておへそ周りが痛み出し寝返りも打つのがきつくなりました。これはどうしようもないと悩んだ末に仕事は代わりを立ててもらい朝一番で病院へ行くことにしました。脂汗と吐き気とトイレに行きたいような感じがずっと続き、病院で受付をしてからはうっすらしか覚えていません。よくあそこまで歩いていったなと振り返ると思いますが・・・。微熱があったようでしたがどうでもよかったです。痛みに必死に我慢しながら診察して結果は虫垂炎でした。何やら機械で検査もしていましたがはっきりとは覚えていません。その後、2週間ほど入院して落ち着かなかったので退院後3週間ほどで仕事に戻りました・・・が、仕事に戻って傷がまだ治っていなかったのか化膿してしまったのか再び腹膜炎になりかけて入院しました。その時は会社に穴を開けた責任感の方が辛くって這ってでも仕事に行かねばという気持ちもあり腹痛もどうにか我慢していたのですが、もう少し遅ければ菌がまわって死んでいたとドクターには怒られました。そしてやっと再び退院という頃に以前持病だった喘息を併発し痛いような苦しいようなで、もう二度と家に帰れないのではないかと思いました。結局最初の受診から落ち着くまでに4ヶ月。長い長い代償が付いてしまいましたが、それからは健康であることに感謝し程々に頑張るようにしています。

年相応のファッションは難しい

私は、ワンピースを着ることが多いです。1枚でサラッと着れて楽ですし、コーディネートも考えなくて良いのに、きちんと感が出ます。普段着としてはもちろん、少し改まったような場所でも着ています。

しかし、最近どんなデザインのワンピースを選べば良いやら悩みます。10代の頃から着ていたワンピースは、さすがに若すぎるので処分しましたが、20代後半にかけて購入したワンピースは、思い入れなどもあって、処分できません。でも、着ようと思っても、デザインと年齢がマッチしないのです。

現在、30代も半ばになってきましたが、年齢相応のデザインというものが、分からないのです。あんまり地味だとオバサンくさいですし、かわいいデザインだと若作りをしているようにも見えます。

だから、もう少し年齢を重ねるまでは、新しいワンピースを買うのはやめようかなと思っています。下手に手を出して買ってしまうと、短期間しか着られないようなものを選びかねないので、無駄遣いになる予感がします。

最近は、カットソーとスカートという組み合わせが多くなりました。私と言えば、ワンピースのようなイメージは自分が思っていた以上に定着していたようで、イメージが変わったと言われることが多いです。良い方に変わったと言われるので、それも悪くないかなと思っています。

ワンピースだけではなく、自分の年齢のことも考慮したファッションというのは、結構難しいと感じています。雑誌などを参考に研究していきたいです。

友達の出産を通して思ったこと

地元の友達が出産をしたので、会いに行ってきました。実家には、飛行機を使って帰らなければならないので、会社もお休みをいただき、予定を調整しての帰省でした。

元々は細くて折れそうなくらい弱々しい友達なのですが、妊娠中に20キロも太ったそうで、私が知っている彼女の面影が一切なくてびっくりしました。でも、元が痩せすぎだったので、少しはふっくらした方が良いと思いました。

本人は、太ったことを気にしていました。でも、私は今の方が健康的でかわいいと思いました。女性、痩せていればいるほど良いみたいなところがありますが、決してそうではありません。拒食症みたいにガリガリな人は、女性としての魅力に欠けます。ちょっとふっくらしている方が、絶対にかわいいです。

私の友達は、高校生の頃に母親を亡くしています。だから、育児に関して手伝ってくれる人もいないので、不安しかないそうです。女兄弟もいないので、頼れるのは旦那さんと父親のみ。

私も、近くに住んでいればできる限りのことは協力してあげたいです。でも、また帰らないといけないので、役に立つことができない自分がもどかしかったです。

その点、私は里帰り出産で母親にも色々手伝ってもらうことができたので、恵まれていたんだと実感しました。食事の準備や赤ちゃんの沐浴など、頼りっきりだったので、それを当たり前とは思わずに、ちゃんとお礼を言わなければと思いました。

友達のことは、心配なので、密に連絡を取りつつ、手伝える時は行ってあげたいです。

太眉を貫こうと決めている私

お年頃になった男子が、眉毛をいじることに違和感を覚えています。私が中学生くらいの頃は、みんなそんなに整えてはいませんでした。それに見慣れているからかもしれません。

高校野球を見ていても、インタビューの際など、帽子を取ったら眉毛がものすごく細かったりしてビックリします。少し整えるくらいならまだしも、若ければ若いほど、眉毛が2〜3mmの太さしかないのではと思うくらい細いのです。

しかし、女性は太眉が定番になりつつあります。細眉が流行り出したのは、アムラー世代の頃だったと思います。ただ、安室ちゃんは顔が小さくて手足が細長いので、細眉も似合いますが、一般人が細くすると、顔が大きく見えるので、変だと思っていました。

だから、私は時代の波には乗らず、常に太眉で過ごしていました。太眉ブームの今、私の時代がやって来たという喜びを感じています。

つい最近、会社の後輩の男の子の結婚式に参列したのですが、その新郎ももちろんのこと、友達達もみんな細い眉毛でした。新郎も、当日に向けて整えたのか、いつもにも増して細くなっていました。

改めて、思いましたが、細眉は人相も悪く見えますし、いかにも整えましたという感じの眉毛は、変です。あまりにも自然に任せ過ぎてボサボサなのも変ですが、何事も程度の問題だなと感じました。

私は、少し切ったり剃ったりはしますが、今後も太眉を貫こうと思っています。再び、細眉ブームが到来しても、我が道をゆきます。

連絡がマメではない友人の真の姿

仕事一筋で、彼氏も作っていないような友人がいます。一緒に結婚式に出席しても、飲みに行っても常にiPhoneを2台持ちして、かかってくる電話に対応しています。仕事に熱中できて、羨ましいと感じつつ、人と一緒にいる時くらいは、仕事のことは忘れれば良いのにとも思いました。

そんな彼女は、かなりの確率で、仕事を理由にドタキャンをします。更には、連絡が取れず、待てど暮らせど放置されたことも何度かありました。

私は、自分がどんなに忙しくても、メールや電話は返しますし、ドタキャンも立て続けはあり得ません。だから、それができてしまう友人に不信感を持ち始めました。もしかしたら、私のことをどうにでもなる存在だと思っていて、適当に付き合っているのではないのかと。

そう思い始めたら、友達でいることが嫌になりました。これまでに、苦楽を共にし、私の悩みにも自分のことのように涙してくれ、わたしは親友だと思っていました。でも、私には彼女が分からなくなったのです。

そんな時、追い打ちをかける出来事がありました。私には何の連絡もよこさないのに、Facebookでは毎日のように投稿をしており、そこに寄せられたコメントにも、ひとつひとつ丁寧に返していたのです。私は、Facebookには登録していないのですが、共通の友人との会話で知りました。正直、ショックでした。

その時、もう無理だと確信したのです。その後、忘れた頃に連絡が来ましたが、返信はしませんでした。彼女とは、それっきりです。

断捨離から学んだ決意

引越しに向けて断捨離をしています。私の荷物は、洋服と靴だけでもクローゼット3つ分くらいはあると思います。

しかし、今着ている洋服は、その中のごく一部というのが現状です。いい加減に着ない洋服を整理しなければと思い、週末に1枚1枚手に取り、チェックしました。

懐かしくて嬉しくなるような洋服もあれば、何でこんな洋服を買ったのだろうと、過去の自分を責めたくなるような洋服もありました。もっと、ちゃんと選んでいれば、お金の無駄遣いにはならなかったですし、タンスの肥やしになることもありませんでした。

私は、いつ頃どのお店で、いくらくらいで買ったかというのを覚えているので、値段のことや思い入れなどを考えると、やっぱり捨てられなかったりもします。こんなことばかり言っているからこそ、片付かないのですが、心を鬼にする時が来ているようにも感じます。

先日、友人が遊びに来てくれたので、お金はもちろん取りませんが、気に入ったバッグや洋服、靴などを持ち帰ってもらいました。人に売るのは面倒ですし、かと言ってゴミとして処分するのももったいないので、誰かに使ってもらうのが一番だと思ったのです。友人も、すごく嬉しそうにしてくれたので、これで良かったんだと思えました。

今後は、買物はあまりしないようにしようと思いました。結局、ろくに着もせずに放ったらかしてしまうので、最初から買うのをやめます。

高い勉強代になりましたが、今後の教訓にしていきたいです。

家庭菜園奮闘日記「収穫したものを自分で食べる幸せと苦労」

私の趣味は家庭菜園です。8年ほど前からつづけており、収穫したものをビールのつまみにするのが最高の瞬間で、そのために日々手入れをしています。
そもそもなぜこの趣味を始めたかというのは隣にある空き地を地主さんがトラクターで耕してくれて、畑にしてくださったからです。
一番力を入れているのがトウモロコシで、収穫したものを調理してアツアツの状態で食べると本当に美味しいです。
ところが、トウモロコシも簡単なものではなく、天敵のカラスに食われてしまったり日照りが続いたりするとダメなものが出来てしまいます。
最近は支柱を立てて釣り糸をはるなどの対策を講じていますが、やはり目下の憂い事は気象状況です。
先端まで実ることがなかったりすると気分的にかなりブルーです。対策としてトウモロコシの「ヒゲ」が出始めた頃に水をたくさんやるなどすることで
先端までしっかり実るようになりました。また、菜園で育てているものはいろいろとあるのですが、最近面白いのはさやえんどう。
これは私の住む地方では三度豆といわれ、その名のとおり年に3回収穫ができます。
前述のとおりビールのつまみに最高の一品です。しかしこれも一筋縄では行かず、秋口に苗を植えても風で折れてしまい、全く収穫ができないことがあるので
これもまた簡単にはいきません。最近知り合いから聞いた防止方法は2リットルの焼酎のペットボトルの底を抜き、苗にかぶせて簡易温室を作ることです。
一口に「家庭菜園」といっても簡単にはいかないですが、創意工夫を凝らすことで好いものができる。これが最高に楽しい今日この頃です。

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